中敷きがズレてくような日々

煩悩、戯言の半径30cm

理容師と俺の関係性


散髪に行くのは常に億劫で行くまでに時間がかかってしまう。

自分のなりたい髪型を伝える行為がそこそこしんどい気持ちがある。高校生まで親についてきてもらい、この髪型にしてくださいと言ってもらっていた。そのときに見せる写真がサッカー選手だった藤本主税。自分がそうしたいと言ったわけでもない。ソフトモヒカンがカッコええやろという父親の意向。でも別に自分もなりたい髪型がなかったのでそれでよかった。ソフトモヒカン基準で似てるやついるかな?と毎年買っていたJリーグの選手名鑑から見つけ出した。藤本主税のことは好きだったので嫌な気はしなかった。

自分のしたい髪型があることが恥ずかしいと思っていた。頭髪検査というものが高校生まではある。いま都会の学生とかを見ると、そんなものはないのかな?と思うが田舎の山梨にはあった。
大体学年の半分以上は引っかかる。どんなに真面目なやつも引っかかっている。引っかかったやつは後日の昼休みに再検査として職員室に行かなければならない。
あれに引っかかる人がダサいと思っていた。そんなに自分のしたい髪型を突き通すために掻い潜りたいのか?と思っていた。あの時間はどんなにいいやつでもどんなにカッコいいやつでもダサく見える時間で嫌だった。
結局お前のそのカッコよさも髪型がないとどうにもならんのか。そこまでしてカッコよく見せる見栄を張りたいか?集団で引っかかってるからここで引っかかるのは当たり前でダサくないとか思うとるんじゃないか?というような考えがよぎってみんながダサく見える。その上でダルいわー言うてるのも意味不明だった。

ただそういう考えのやつの代償は人よりも少し大きくて、散髪屋で自分で髪型を言えないから親に言うてもらっている。

もちろん大人になれば自分で言わなければならない。
親がついていく行為の方がダサいを越してヤバくなる。

行くのは未だに1000円カットだ。最近は値段が上がり続けて1300円になっている。
行ってしまえばあとは言うしかないのでそこからは楽だ。
前髪は眉かかるくらいで、横は耳が出るくらい、後ろは2センチ切ってください。と言っている。
これは社会人になってから付き合った前の彼女が自分の髪型を見て、こう言えばいいんじゃない?という台本を渡してくれたものを使わせてもらっている。もう27歳にもなったのでさすがに恥ずかしさは慣れと共にどうにかすることが出来ているが根本では消えることがない。ただこの台本が出来たことによってかなり楽になったので感謝している。でも億劫なのもまだ変わりない。

最初は伝えてもこれが正解なの?というような髪型にしかならず納得ができなかったが、ここ最近は楽しむようにしている。
まったく同じことを言ってるのに切る人によって出来上がる髪型が少し違うことを楽しんでいる。
今日は前髪をすくのが少し足りなかった。でも髪型確認のときに大丈夫ですと返す。
1000円カットは調整のためであり、そんな真剣に切りに来る人はいないだろうと考えている理容師さんなのかもしれない。

またカットの時に無言のまま自分を雑に扱われることが気に入っている。
髪の毛わしゃわしゃされたり、くしをガシガシ入れられたり、バリカンをする音がやたらうるさいのだったり。
いろいろと我慢は強いられるがもはや心地よくなってきた。
顔の位置がズレだしたらなんも言わずにグッと戻されるのも楽しい。あんまり楽しみすぎて笑わないようにだけ気をつけている。

シャンプーのときに優しく洗ってくれるのもいい。髪を乾かしてくれるのもいい。タオルで顔を拭く時、少し緊張した手つきなのもいい。逆にガシガシ目や口元を触ってくるのもいい。今日はこっちのタイプだった。
耳に指をじーっと入れてくれるのもいい。
この理容師さんが毎晩風呂入った後にこうやって拭いているのかなと考えるといい。

これの主語が女性だと気持ち悪くなるのだが、僕からしたら男性にだって同じことを感じる。
雑に扱われる関係なわけないのに雑に扱われることに対してテンションが上がっていて、その中で知る由もない理容師さんの生活が見えるのがおもしろくて楽しいのだ。

今日もまた散髪後に自撮りを1枚撮っておく。
人によっての違いを楽しんでいる。
当然自撮りも上手くないので今日も変に笑っておく。

やっぱ人と関わる行為が好きだ。

理想郷を生み出す人はすごい〜TOP BEAT CLUBに行った〜


TOP BEAT CLUBという場所に行った。
THE NEATBEATSの真鍋さんが新たに荻窪に生み出したライブハウスだ。

初めて知ったときはビックリした。ライブハウスごと作ってしまうのか。

場所は荻窪駅から徒歩10分のところにある。ほんの少し中に入れば住宅街なところ。こんなところにライブハウスが生まれたという事実がちょっとワクワクする。

ここでオープンから数々のロックンロールバンドがライブをしている。NEATBEATSはもちろん、pillows、フラカン怒髪天、プライベーツ、THE BOHEMIANSなどほんとにカッコいいバンドばかり。

そしてこの日はThe Birthdayの公演。
チケット争奪を見事にくぐり抜けて参加出来た。

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風が冷たくて歩いてる最中はどうしたものかと思ったが、着いた瞬間これはすげぇという気持ちで心が弾んで少し暖かくなってきた。

1階がカフェ&BARになっていてくつろぐ人もいる。今日みたいな人気バンドの完売公演だとそのすぐ横で物販やってて、さらにすぐ近くにロッカーとクロークがという感じで人がごった返してたがこれはいいライブハウスだと確信した。
しかも2階にはレコードショップも出来るようだ。

ライブハウス自体はビートルズの聖地と扱われているリバプールのキャバーンクラブをモチーフに作られているようでキャパが500〜600くらいの割に天井が開けていて、レンガの内装に赤幕のステージというロックンロールのライブを観るには最適な空間。
さらにヴィンテージアンプも常設しているこだわりっぷり。

ちょっとすごすぎる。いろんなバンドをここのライブハウスで観たくなる。
自分の理想の場所を形にして作れちゃう人はすごいなと思う。

だからこそキングコングの西野が自分の地元にプペル街を作ろうとしてるのもすごいと思う。絶対読めない洋書まみれの家とかめちゃくちゃ笑ったけど理想を形に出来てるんだからすごいのは間違いない。

ライブハウスを作ることだって、街を作ることだって同じことだ。
この直前に行った荻窪ブックオフの絵本コーナーで「にしのあきひろ」の仕切りコーナーを見つけた。これは副産物として生まれた自分の場所だけどもそれもすごいなと思った。


自分の中から作り出した理想は色んな人に繋がっていく。
今日来ていたお客さんもTOP BEAT CLUBにワクワクして写真を撮っている人が多かった。僕もたくさん写真を撮った。

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ドリンクチケットも特製ピックで思わず持ち帰ってきた。
またドリンクも生ビール、缶ビール、瓶ビールをすべて揃えていたようでそういうところの需要を汲み取ったこだわりも細部に渡っている。

そしてバースデーのライブもとても良かった。こんな間近くでバースデーを観れる機会も滅多にない。

バースデーはライブをすればこういう空間になるというものを持っている。どこでやってもそれが強く滲み出るバンドがすごくいい。
近年のバースデーはスケールがデカい曲が多くて、Zeppとかのデカいステージが似合う。その感じを損なわないまま、中規模のキャパのライブハウスでも存分に出している感じがとてもよかった。
自分の場所を作るというのはライブ自体もこれまた同じで無形でもそれを世に表すことが出来るというのがすごい。


ライブ終わりも執拗な追い出しが1つもなく余韻を決して損なわない。素晴らしい。

 

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階段を上ろうとしたらレンガにクラウドファンディングをした人たちの名前などが書かれていた。ファンも含めてみんなで作った場所なんだなと実感させられてこの土地が末永く生き残って欲しいと思った。

クロークに預けていた荷物を引き取りをしていたら(クロークも500円で安い!)真鍋さん本人が自分の荷物を持ってきてくれた。

「またニートビーツ観にきます」と伝えたら「ありがとう!」と肩を叩かれた。
ほんまにこの場所でニートビーツは観てみたいと思ったのでまた行こうと思う。

 

 

荻窪ブックオフで見つけたレコード

Peacocks「Come With Us」

スイスの1990年代のロカビリーバンドらしい。

非常に聴きやすくてカッコよかった。

バースデー観に行く日にロカビリーを買うのはなんだかいいなと思って購入した。

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https://youtu.be/530f42Iy1Mc

 

『反社』さま2名様

飯屋に入店

お会計が少し混み合う瞬間に入ってしまい、ひとまず名前を書かずに待つ。
そのすぐ直後に入ってきたカップルのグラサンロン毛男が合間をずかずかと掻き分けて名前を書いた。
周りに迷いのないオラついた掻き分け方で「え」と驚きながらも書いてない自分が悪かったな、抜かされてもうたな、と思いながら2番目に名前を書いておく。
なんとなく前の人の名前を見てみる。こういうときってなんとなく名前を見てしまうものだと思う。

『反社』

反社?自ら言うかよ、たしかにそんな見た目やったけど。
んなわけないとよくよく見ると
「白石」と書いてあった。
決して字が汚いというのは適してない。なんとなく上下をキュっとして右左への移動が大きく、且つ折り返しが筆記体の綺麗さで表現していたがために反社に読めてしまった。

たしかに社の左の上のちょんの部分がなくて、石だと思えた。
「こんな字読めるか」と思い、なんとなくムカついて自分の名前書きついでに左上のチョンを書き足した。

大勢の会計が済んだのでテーブルはすぐ空く。5分もせずに呼ばれた。

「おつぎ2名様のはん、はん、はん…」
やっぱそう読めるよな?!
ただ店員さんも反社って自ら書く人なんておらんと思ったのだろう。

「漢字のかた〜」
漢字で書いてる人なんいっぱいおるて!
グラサンオラつきロン毛男は
白石改め反社a.k.a.漢字となった。

a.k.a.漢字が「白石」と投げ捨てる用に言った。
「あ、白石さま〜」

僕はイタズラしたのがバレて反社にぶん殴られるかと思ったが、
「なんで読めねぇんだよ」のつぶやき小言が横を通るだけで終わった。

書き足したチョンがなければ店員さんもギリギリ解読出来たかもしれないが、チョンひとつで社に読めるように僕がミスリードしたかもしれない。

世の中もほんの少し味付け、チョンひとつの味付けでまったく違う世界線が見えたりするもんなんだと思う。

チョンを書かなかった世界線でも店員さんが「はん、はん、はん…」とギリギリまで反社とは言わんようにしたのか、というのも確認してみたい。

僕が無料でタイムマシンを操れたら1回戻ってその世界線を見てからもう1回戻って、またチョンを書く世界線に戻すと思う。

少し迷惑はかけたかもしれないけれども、それは申し訳ないけども、このくらいの遊び心は持ちながら生きていたい。

その後も「あの字は反社フォントだった。」だの「反社フォントになったのは彼がかけてた反射メガネだったから書いてる字がよく見えなかったのではないか。」と懲りずに反社遊びをしていた。
そして人が飲んでいる最中のグラスに乾杯する自己中乾杯を生み出して、真面目な話をしようとしたら口噴射して目の前の彼女の目に唾液をふっかけていた。
何故だか泣くほど笑っていた。

今日は仕事で前回の会議の時に大失敗した数値発表の練習をさせてもらったが、なかなか出来ずに苦労した。
当たり前のことを当たり前に言う。
いい意味で違和感を与えずに気にしなくなる喋り方をする。
ここの当たり前に喋ることに辿り着くまでに10回以上の反復練習が必要だった。
数値発表は社会性が問われて難しい。
ある意味、反社は俺だとも思う。

都会でスマホがない90分


スマホのバッテリーを変えにAppleまで行った。各説明を受けてスマホを預ける。

「それでは17時15分以降にまたご来店ください。」

その言葉で思い出す。時計を持っていない。
まだ目の前にあった自分のスマホのホームボタンを押す。15時45分。

ここから90分の体内時計を動かし出した。

スマホを持たぬまま都会に出る新鮮さに浮き足だった。極楽とんぼBS日テレで密かにやっている週末極楽旅をよく観ているのだが、その番組では旅先でスマホを取り上げられて記憶と口コミだけで移動する「昭和旅」というものをやっている。結構楽しそうで羨ましかったのだが、プレ昭和時間を過ごせると思ってワクワクした。

思えばもうiPodも持ち歩いていないので聴くものもない。スマホに依存するのが嫌でせめてもの抵抗でしばらく持ち歩いていたが、ここ数年で気づけばスマホに集結させていた。

ポケットに入っているイヤホンもいらないことに気がついて、カバンに放り投げた。

どこに行こうか。カラオケにも行きたい。時間を把握するには1番最適だ。
いやでもどこにカラオケがあるのかもあまり分かっていない。いかにスマホに頼っているかを身で思い知る。
タワーレコードなら目の前にある。レコードを漁りたい。そう思って渋谷タワレコ6Fへ。

最近は中古7インチを漁るのにハマっている。
自分だけのヒット曲を探すのが楽しくなっていて、1960年くらいの楽曲のジャケットすらないものに惹かれている。
コーナーに行くと7インチが潤沢にある。
これ良さそうだなぁというはほぼアーティストの名前とかからインスピレーションで感じている。そんな探し方なのであっという間に良さそうなものが10枚くらい現れた。

でも聴かないとやっぱり分からない。

ジャケットもないのでジャケ買いとか言う話でもない。上級者ならレコード盤の真ん中にアーティストとかタイトルが書いてあるラベル面のデザインとかで、これはこういう音楽の系統だろうなど見分けが付くようなのだが、まだそんな域に自分はいない。

試聴したいが、店員さんに声をかけないといけない。

ここで声をかけることに勇気が出ない。
日頃やってきていないのも大きい。

さらに付随するものが2点ある。
試聴してる間に自分が見られているという感覚になって恥ずかしい。監視されている感が若干気合い入れないと耐えれない。

もう1つはどれも300円のお試し価格のものばかり聴くのが恥ずかしい。

実際自分がレコード屋で勤めてて、周りの人の「こんな値段なら聴かずに買えよ」みたいな言葉を耳にしてるからかもしれない。
そんな言葉を聞きながら「ギャンブルすればいいのに」的な気持ちは少し分かれど、「いや、それ自分が対応するのめんどくさかったからだろ?自分都合だろ?」という気持ちも拭えないまま肯定も否定もせずに飲み込んでいる日々を思い出す。

たしかにこういうギャンブルは大事だよな、とは思いながらも1回棚に置く。

日頃いかにスマホYouTubeに頼りながら試聴をしているかと思わされた。

フロアを歩くとTelevisionのマーキームーンの輸入盤レコードが新品で2,200円で売っている。パンクロックというスタイルはセックス・ピストルズからが始まりとされているが音楽的にはイギーポップが率いるThe StoogesとTelevisionが先駆けと言われている。
今年に入ってボーカルのトム・ヴァーレンが亡くなって、そのタイミングに店頭で流して初めてしっかり聴いてみたのだが、名盤という噂に違わず非常に良かった記憶があった。

心がグラッと揺らいだ。こういうときは知ってるものに心が揺らぐのか。


ただひとつ、Appleで言われたことを思い出した。

「今回のバッテリー交換はAppleCareに入っていて、その他の条件も満たしていますので無償での交換になりますが、中を開けて万が一、水濡れなどの外傷がありますと本体ごとの交換になりまして12,900円をお支払いしていただく形になりますがいかがなさいますか?」

ついこのあいだフジロックのチケットを買ってしまい、ここから少しでも出費を抑えなければというところ。サマソニのチケットもここから買う予定がある。
それだけで83,000円飛ぶところに12,900はまずい。

「あとで考えてもいいですか」と即答で大丈夫ですと言えない自分のお金のなさに少し情けなくなっていた。

ただ事実は事実だ。払うとまずい。

今、2,200円をここで使うことは果たして良いことか?もう少し安価で楽しんだ方が良くないか?

1回忘れるために見ないふりをして歩き出すと、新しい海外アーティストたちがレコメンドされている新譜コーナーに辿り着く。

タワレコの新譜コーナーの視聴機にはCDが据え置きで入っていて、1〜5のボタンを押すとそのアルバムが再生される。迷わずにヘッドホンを手に取ってボタンを押す。

まずはインディーと言われるような女性ボーカルのシンガーソングライター系統がまとまっている場所。
1番を押す、2番を押す、3番を押す…どれを聴いても良い。とても好きだ。
僕は半年持ち歩いて1度も使いどころのなかったメモ帳を取り出して、アーティストとタイトルを記入した。

それぞれのCDの紹介が書いてある店舗独自のポップを思わず手に取りながら聴いた。
そのポップのどれにも文の最後に(武田)の文字がある。
俺はずっと武田さんのレコメンドを聴いているのだな。この人が選んでいる音楽かなりいいな。
今の時代だとTwitterなどネットで話題になっているものが分かって、すぐ聴けるけども昔はそうじゃない。CD屋・レコード屋で音楽を探すというのが普通の文化だったはず。
その時代ではこのポップはこの人が書きましたよ、というのは非常に効果を持っていて、「あの店舗の〇〇さんのレコメンドしてるのは基本どれもいいんだよね。だからあそこ行ったらまず最初にポップの末尾に書いてある名前を見て聴く。」みたいなことはあったのだろうと思った。

今の時代では寂しい話ではあるが試聴コーナーに群がる人はおらず、僕は聴き終えたらそのまま横の試聴機、さらに横の試聴機へとはしごしていった。どのポップにも(武田)と文字があった。

武田さんレコメンドコーナーで時間をかなり潰したぞ。と思いながら体内時計に聞く。それでも1時間は経っていないだろう。40分くらいではないか?

ひとまずフロアをうろちょろして時計を探す。しかしどこにも時計など置いていない。

飾ってあったTejevisionが1枚だけなくなっている光景だけは見えた。1回忘れていたのにな、と思いながら店頭にあるパソコンで時間が確認出来ないかと覗いてみたりもしたが電源が点いていない。

もう携帯は持っていて当たり前のものだからこそ、スマホを持っていないと時間すら気軽に確認出来ない。世の中はスマホありきで移り変わっていることを実感する。

まだ時間があるだろうと思い、いざ決心して7インチの試聴を試みる。
1回3枚までと書いているので、三球入魂のスタイルだ。
インスピレーションで3枚選んで、カウンターに持っていく。

「これ試聴してもいいですか?」とレコードを預ける。
このタイミングで横に使っているであろうパソコンもあったので「いま何時ですか?」も聞いてみるのもありだった。
しかしこれを言う勇気は試聴よりもさらにハードルが高い。スマホありきで移り変わっているので、急に若者が時間を聞くこと自体のハードルがグンっと上がっている。
そのくらい何も思わず答えてほしいな、世知辛いよと思いながらも自分が聞かれても「なんでだ?」と思ってしまうだろう。想像力は大事だ。

結局聞けずじまいのまま試聴台へ。
3枚のうち1枚でもいいの当たってくれ、と思いながら針を落とす。
ガレージ風味な良い感じのイントロ、おぉ来たか?と思いながら聞き進めるが一向に歌い出さない。インストかぁ…インストだと少しイマイチだな。B面もインスト。
2枚目にいく。少し趣は違うがまたインスト。
B面もインスト。
3枚目にいく。これはインストではないがちょっとポップすぎる。オールディーズ風味だけどポップス要素が強い。

あれ、1枚もグッと来なかった。
もう終わり?!みたいな気持ちがクレーンゲームで商品を掴むことも出来なかったときの気持ちに似ていた。

割と毎回レコード屋では良い買い物をしている自負があったのだが、スマホがないと自分の審美眼が炙り出された気持ちだ。

悔しくて同じ3枚の盤をもう一周した。
1枚でもハマらないか?と頑張って聴いてみたが、グッと来ないことに変わりはない。

聴きながら少し打算的な考えが浮かんできた。

1枚でも買えばレシートに時間が表示されて、今が何時何分なのか分かるじゃないか?

しかしそんな117の時報みたいなことするか?300円払ったらそりゃあ時間は分かるかも知れないけど、お金を払って時間をわざわざ確かめるかね?
あとこのグッという感情に嘘はつかない方がいい。という判断の元、全て戻すことに決めた。

振り返ってカウンターを見ると先ほどの店員さんが外人さんと日本語の通じないコミュニケーションをしていて苦戦していた。自分も同じことによくなるので気持ちは分かれど、もうそろそろ時間を知りたい気持ちでうずうずしていた。

しばらく時間がかかりそうだったのでカウンターの側のパソコンにおそらく在庫検索をしに来たタイミングで「すみません。全部キャンセルしときます。」とレコードを縁に置いた。

「えー、いまお客様対応してるので、そこの縁に置いといてください」と言われた。

なんてことはないのだが何故か心にしこりが残った。「かしこまりました。そこ置いといてください。」でいいよな。
ほんとなんてことないし、状況は分かるし、気持ちも充分に分かるから構わないのだけれど。この気持ちはなんだろう。リアル谷川俊太郎だ。
何気ない一言でも大事に対応していかないとなと思った。

そこから万が一の12,900円の支払いにビビって、お金を下ろそうと郵便局に寄る。
中に入るとそこには時計が!16時50分。
こんなにいろいろやっても1時間しか経っていないのかと驚いた。
あと少し時間がある。ATMは混んでいたのでお金を下ろすのはやめて、別のレコード屋さんに向かった。

そこでも7インチを漁る。
なかなかの入荷量だ。見ているといまちょうど欲しいソウルの中でも明るいものというよりはもっと1960年前半の濃いところの楽曲がありそうな雰囲気がした。
しかしやはり聴かないと分からない。自分の審美眼は先ほどで信じられなくなっている。

5枚ほどあったのだが、それはまたも小さなメモ帳にアーティスト、タイトル、盤の規格番号と値段までもを書いた。
ボールペンを持ってメモをしているのも見られると怪訝な目で見られそうなので、少し身体で隠しながらメモを走り書いた。
文字を書く機会も着実に減っているので元々汚い字が自分でもギリギリ読めないくらい汚い。

そんななかでもJOSH WHITEというブルースシンガーだけはなんとなく知っていたので購入しようと決めた。

レシートを見ると17時19分。
ついに過ぎた!と思い、Appleに戻る。

水濡れなどの問題はなく無償での交換が成功。めちゃくちゃホッとした。

早く先ほどの楽曲たちが聴きたくて、Appleを出てすぐ横のビルの前で先ほどメモした5枚をYouTubeで聴いていた。

やはりスマホには頼り切ることになるだなと思ったと同時にスマホがないままレコードを漁ることすらも不安なのか、と少し自分に情けなくなったりもした。

ただ今の時代で携帯を持たないことと、昔の時代で携帯を持たないことは意味合いが普通に変わってきていることをとても実感させられた90分だった。

ないからこそ気づく部分があるのも確かでとてもいい休日を過ごせた。

今日買った中から1枚だけ聴いてから寝よう。

ワクワクする方に進む力


今週の探偵ナイトスクープを観た。
目が見えない天才ドラマーの子に憧れてドラムを始めた8歳の少年が想いを伝えに行くという依頼。
目が見えないドラマーの子が「ドラムを楽しいと感じてからずっとやってる」と言っていた。

この子はこれしかないというものを見つけて突き進んだと感じる。
2歳で小児がんになり、目を摘出したという。目が見えた頃の記憶がないと言っていたが、その真っ暗な世界で楽しかったなという実感だけで突き進んでドラムを続けていたのだろう。
例え目が見えなくたって、そのワクワクを大事にして突き進む凄さを感じた。そういう人のエネルギーがすごいというのはヒシヒシと感じる。

僕は人の表情の変化とかを見るのが好きで自分の目とか視点というもので自分の人生を豊かにしている。でもそんなのちっぽけだなと思わされる。

世の中が真っ暗だって突き進んでいる彼がカッコよかった。

挙動とかで目が見えないことはわかるけれど、彼に憧れる8歳の少年と触れ合う姿は両目を摘出したとは思えない感じだった。初めて自分に憧れられていると言っていて、その顔は喜んでいたように思えた。
ただその表情を見ても本当に喜んでいるのかを僕は確信は出来ない。いかに自分は人の目で表情を確認しているかが分かる。義目だと涙とかまでは出ないものなのだろうかなどを見てしまう。そんなことどうでも良いのに。

声だけの世界ってどんなのなんだろうと想像して目を閉じてみる。どれだけ目を瞑っても部屋の明かりの光が差し込んでいたりする。
僕は完全に目が見えなくなることは出来ないから感覚も計り知れない。

どうにか彼の感覚が分かりたくなって想像する。怖いなとも思うし、孤独で光のない世界は冷たくひんやりとしたものにも思える。でも僕はラジオで声だけの世界の温かさを知っている。きっとこれに近い世界なのかもしれないと思った。

決して目が見えないからって温かさを感じにくいわけではないんだ。むしろその逆かも知れない。そのぶん自分のことを悪く言う声がある時は人一倍ズシっと来るものがあるのだろうか。そのくらい言葉だけの力というのは重い。表情を見ることでうやむやになることがあり、僕自身はそれに少し安心しているようにも思えた。

昨日はクロマニヨンズのライブに行った。
ツアー初日に行ったのは初めてだったがお互いが緊張感を持っていて、百戦錬磨のクロマニヨンズでもアルバムの曲を初披露する初日は緊張するのかと思った。
60歳も目前になってこんなに初めてのことでワクワク出来てるのめちゃくちゃいいな。こんな大人になりたいわ。

この間27歳になった。
小中高生の頃からなのではあるが、身体がカチコチでストレッチとかでどうこうできる問題じゃない気がしてる。人より動けなくなるの早いだろうなと最近思っている。
気は早いけど身体が元気に動いてるうちにいろいろやっといた方がいいな。

友だちから年始に「(去年の俺は)サラリーマンみたいなこと言ってるなと思ったことが多かった。」と言われたのが意外とショックだった。
気を使わず動くことから初めていきたい。

そんなこんなでフジロックの全通しチケットを購入した。金は少し足りないが金だけじゃない。買ったらあとは進むのみ。

The Strokesが来たら行くとずっと方々に言っていたしな。今回は12年ぶりの来日らしい。

20歳ぶりに行ってみるかフジロック

 

ナルシズムと衝動


酒を飲んでおかしくなるやつを初めて見た。

人に大きく迷惑をかけてるわけでもないので、見てる分にはめちゃくちゃおもしろく、こいつこんな一面あったのかと思って楽しかった。

彼が途中で言い出した。
「ナルシストって1番生きるの楽しそうじゃないですか?」
自分が嫌になって死にたくなるような話からだった。

自分が嫌になることはまぁまぁあれど、死にたいと思うことはないとは言わないがそこまでない。思い返せば俺の中にはナルシズムが確実に存在しているよなとも思った。


割と周りの同級生に「死にたい」と言う人は多くて、生きづらそうだなと思って見ていたことを思い出した。
今ならカジュアルな言葉で使っていたことも分かるのだが、カジュアルでも使うもんじゃねぇよなとも思っていたし割とまだ思う。


基本的に逆張りをやってきている。
周りが「死にたい」と言っていると本当にそうか?と自分に投げかける。周りと同じは嫌だ。「死にたい」と言うのが普通の感覚なら俺は「死にたくないね」と思うのがカッコいいと思っていた。

その過程で自分は自分で生きていくしかないし、他人にはなれないことに気がつく。
それはブルーハーツを幼少期からひたすら聴いていた賜物かもしれない。ヒロトマーシーには割と生かされている。
自分のことは自分で愛さないと後々しんどくなるだろうと気づいた。
でもこのナルシズムを出すと嫌われちゃうから心に閉じ込める。さらに思い返せば見た目に違って心にハンサムが残って、身から出たハンサムで惹かれることはしばしばある。

でもこのくらいのナルシズムがあるのとないのとではある方がいいと思う。
ホストみたいなナルシズムはいらないけれど。

ただ一方で酒に飲まれていた彼を見て羨ましいとも思った。こんなに自分を出せることが俺にはない。何も気にせず思っていることを言えるこんな気持ちが欲しい。

俺はいつだって自分の意見を言うのが怖くて横で人一倍笑うだけだ。

彼は帰り道には全然知らん人らに手を振っていたり、ポールを跳び箱し出してそのまま倒れたりなかなかの自己破滅型。
たしかに彼を見ているとナルシズムなどなく、やらずにはいられない衝動でやっているように思えた。
この思いきりが俺にはないんだよな。とすごく感じている。

先週とうとう27歳になった。
27clubなんて言葉がある。カートコバーン、ジミ・ヘンドリックスなど有名なロックミュージシャンが27歳で死んだことを指す。

憧れて死ぬ行為が世の中で1番ダサいと思う。

「死んだ人よりも俺は大切だ なぜならば俺は生きてるからだ」
これもマーシーの歌詞だな。

衝動を自分の身から起こしたことで感じて、これを感じるために生きたい!という経験を積んでいきたい。

愚痴をストックス


なんでそんなに人のことを見ないで文句を言うことが出来るのだろう?と思うことがあった。

僕は自分のキャラクター的にテキトーなやつだと思われがちだ。
実際テキトーにしてしまう部分もある。否定しない。
ただ考えている面は考えすぎなくらい考えているし、この間の年末みたいに見て分かるくらい落ち込んで塞ぎ込むくらいまで考えてしまうこともある。あとむしろ準備しないと何も頭から考えが出ない時が多々あって、それを踏まえてるからこそ事前に考えている。

「査定の時に実績見ればいいよって言ったんでしょ?」と言われた。
そんなことを言うわけがない。むしろうちは安すぎてすぐ売れちゃってることが多くて、これじゃあカモにされてしまうなと思っているからそういうものを見つけたら流されるずにガンガン上げるようにしている。
売値500円上げとかは平気でやるし、1,000円以上も上げたりすることもまぁまぁあるし、高いものだったりしたらもちろん市場を見る。

彼は今、査定を始める子に教えている。
その子から聞いたと言う。
たしかに今彼が教えているからあんま余計ないことは言わんとこと思って接していたけど、普通に世間話のように話をされた時に査定についての会話はした。そのくらいだ。
またその教わってる子がそんな貶めてやろうとそんなことを言うはずがない子なので何かがおかしいと思っていた。

「いや、俺そんなこと言いました?話してる時に値入れに関してはむしろすぐ売れてるものとかは上げたらいいって言いましたよ」
「でもそういう認識になってないから」と返ってくる。

「そうやって流れ作業みたいになるとさ、よくないからさ」
まったく同じことを思っている。

「君はいいよ、治す気もないでしょ?それでいいよ。だからそういうの言わないで。」

この言葉にカチンと来た。
そうやって人のことを知ってる風に勝手に自分のイメージだけで物事言いやがって。しっかり見てくれていたら絶対そんな言葉は出ないはずだ。

ただまぁプライドを持って教えているところを邪魔しちゃったんだなとか、俺ってそんなにテキトーなイメージ持たれてるのかと考える部分もあった。

「いやまぁたしかに俺は少し伝えるのが下手なところがあるから何かこう曲がって伝わったのかもしれないですね、すみませんすみません」で終わらせた。

すぐにはその会話を思い出せない。
どこか自分が間違っている可能性がある。
だからその場では怒れない。


家に帰って思い出すと「査定画面の実績を見たらいい」言ったのを思い出した。
それは値入れの話ではなく、特記事項に使われている記号の話だった。

査定の時に使う数字やアルファベットを組み合わせた記号があり、それを打ち込むことによって帯付とかライナー付とか2枚組とかが出るようになっている。
それが100以上書かれている表があり「これ全部覚えなきゃなのかな」と言っていたので「いやこれは全然覚えんでいい。みんながやってる実績を見たら書いてあるから覚えなくていい。そしてやってると覚えるし」と話したことを思い出した。

まったく違う話が曲がって伝わっていただけだった。
これのことを言っているにも関わらず、まずその発言が出た時に当人に聞きもせず決めつけでよく人に文句をよく言えるなと思った。
そういうこと言うときに間違えていたらどうしよう、とか思わないのかな?間違えたときに心が痛んだりするかもとか考えたりしないのかな?よくもそんなこと恐れずやれるなと思う。

人がどういう思いをするのかとかまるで考える力がないんだな。


彼にはずっと思っているがどこか人を見下している発言や行動が多く、ここ最近のだけでも思い出してみたらいくつかあった。

人が休憩出るタイミングで電気屋さんにおつかい頼むまではまだいいが、それから戻ってきて張り紙で「これもお願いします」とまた電気屋に行かせる案件が置いてあった。そして彼は休憩中。
俺に物事頼んだ段階で2度手間になることは確実なのに悪気もなく頼むことなのか?と思った。

ずっと裏に下げてる在庫がついに2ヶ月以上経ち出した。
前に「あれって送り出し先は決まってないんですか?」と会話していた時に
「そうなんだよね、誰もやってくれないから」と言っていた。
それはお前の仕事じゃねぇのかよと思ったが放置してみた。でもまだやらない。
通販で落ちたりするとみんな5箱もの中から探さなきゃいけないのがしんどそうだった。実際自分もしんどかった。
痺れを切らして送り先を探し出してそれを伝えたら「店頭空いた時にちらちら出していたのに。出したくないな。」と言い出した。
お前ゴミ屋敷の住人みたいなこと言うんじゃねぇよと思いながら、決めたものだけはやらせていただいた。また勝手に進めたことにだけ文句を言われたので謝っておいた。

自分が推し進めようとした案件。
店頭に出る商品にはすべてセロパックをつけてCDを保護した方がいいってことを上の人などに話して進めようとしてた。
それを聞きつけて「レコードもさ、底抜けちゃってること多いからさ、査定のときに底抜け防止シート入れようってのをついでに話に上げといて」と言われた。
正直それはさすがに査定の時にやるのは時間がかかりすぎると思うので俺は反対だったのだが、なぜそれを俺が進めなきゃいけないの?と思った。
そもそも俺が賛成かどうかを聞くところから始まるだろ?と。

このエピソード並べただけで分かると思うのだが、人のことや気持ちを見れていない。どこか薄ら舐めている。
他の人に話を聞くとこれは俺だけじゃなく、割とそれをやられてる人はいる。

きっと俺は特に舐められているとは思う。
何言っても謝ってしまうし、怒らないと思われているし、怖くない。年もあっちの方が3つくらい上だ。

常に自分のほうが上だと言う気持ちがあるんじゃないかな?と思う。

たしかに知識とかあんたの方が上だ。太刀打ちなんて出来るもんじゃない。
ただ俺もある面ではあなたのことを舐めているからな?忘れんなよ?

でもきっとそういうの治す気ないんでしょ?だからいいよ。

ただ覚えとけよって話。

これは俺自身にも言っている。だから載せるのどうかと思いながら書いた。

あーデトックスデトックス
ストックです。