中敷きがズレてくような日々

煩悩、戯言の半径30cm

理容師と俺の関係性


散髪に行くのは常に億劫で行くまでに時間がかかってしまう。

自分のなりたい髪型を伝える行為がそこそこしんどい気持ちがある。高校生まで親についてきてもらい、この髪型にしてくださいと言ってもらっていた。そのときに見せる写真がサッカー選手だった藤本主税。自分がそうしたいと言ったわけでもない。ソフトモヒカンがカッコええやろという父親の意向。でも別に自分もなりたい髪型がなかったのでそれでよかった。ソフトモヒカン基準で似てるやついるかな?と毎年買っていたJリーグの選手名鑑から見つけ出した。藤本主税のことは好きだったので嫌な気はしなかった。

自分のしたい髪型があることが恥ずかしいと思っていた。頭髪検査というものが高校生まではある。いま都会の学生とかを見ると、そんなものはないのかな?と思うが田舎の山梨にはあった。
大体学年の半分以上は引っかかる。どんなに真面目なやつも引っかかっている。引っかかったやつは後日の昼休みに再検査として職員室に行かなければならない。
あれに引っかかる人がダサいと思っていた。そんなに自分のしたい髪型を突き通すために掻い潜りたいのか?と思っていた。あの時間はどんなにいいやつでもどんなにカッコいいやつでもダサく見える時間で嫌だった。
結局お前のそのカッコよさも髪型がないとどうにもならんのか。そこまでしてカッコよく見せる見栄を張りたいか?集団で引っかかってるからここで引っかかるのは当たり前でダサくないとか思うとるんじゃないか?というような考えがよぎってみんながダサく見える。その上でダルいわー言うてるのも意味不明だった。

ただそういう考えのやつの代償は人よりも少し大きくて、散髪屋で自分で髪型を言えないから親に言うてもらっている。

もちろん大人になれば自分で言わなければならない。
親がついていく行為の方がダサいを越してヤバくなる。

行くのは未だに1000円カットだ。最近は値段が上がり続けて1300円になっている。
行ってしまえばあとは言うしかないのでそこからは楽だ。
前髪は眉かかるくらいで、横は耳が出るくらい、後ろは2センチ切ってください。と言っている。
これは社会人になってから付き合った前の彼女が自分の髪型を見て、こう言えばいいんじゃない?という台本を渡してくれたものを使わせてもらっている。もう27歳にもなったのでさすがに恥ずかしさは慣れと共にどうにかすることが出来ているが根本では消えることがない。ただこの台本が出来たことによってかなり楽になったので感謝している。でも億劫なのもまだ変わりない。

最初は伝えてもこれが正解なの?というような髪型にしかならず納得ができなかったが、ここ最近は楽しむようにしている。
まったく同じことを言ってるのに切る人によって出来上がる髪型が少し違うことを楽しんでいる。
今日は前髪をすくのが少し足りなかった。でも髪型確認のときに大丈夫ですと返す。
1000円カットは調整のためであり、そんな真剣に切りに来る人はいないだろうと考えている理容師さんなのかもしれない。

またカットの時に無言のまま自分を雑に扱われることが気に入っている。
髪の毛わしゃわしゃされたり、くしをガシガシ入れられたり、バリカンをする音がやたらうるさいのだったり。
いろいろと我慢は強いられるがもはや心地よくなってきた。
顔の位置がズレだしたらなんも言わずにグッと戻されるのも楽しい。あんまり楽しみすぎて笑わないようにだけ気をつけている。

シャンプーのときに優しく洗ってくれるのもいい。髪を乾かしてくれるのもいい。タオルで顔を拭く時、少し緊張した手つきなのもいい。逆にガシガシ目や口元を触ってくるのもいい。今日はこっちのタイプだった。
耳に指をじーっと入れてくれるのもいい。
この理容師さんが毎晩風呂入った後にこうやって拭いているのかなと考えるといい。

これの主語が女性だと気持ち悪くなるのだが、僕からしたら男性にだって同じことを感じる。
雑に扱われる関係なわけないのに雑に扱われることに対してテンションが上がっていて、その中で知る由もない理容師さんの生活が見えるのがおもしろくて楽しいのだ。

今日もまた散髪後に自撮りを1枚撮っておく。
人によっての違いを楽しんでいる。
当然自撮りも上手くないので今日も変に笑っておく。

やっぱ人と関わる行為が好きだ。