中敷きがズレてくような日々

煩悩、戯言の半径30cm

二十歳との距離のはかりかた


また新しい子たちが入ってきた。
まだみんなに興味を持てている。
どんな音楽を聴くんだろ?どんな生活を日ごろしてるんだろ?
いろいろと聞き出していく。掘っていくとおもしろいことが大概現れる。
これを学生の頃から永遠とやっている。

入ってくる子たちは大学生だったり二十歳そこらの子が多い。
そういう子たちの話を聞くのが特に本望だ。
常に若い子の感覚っては早くて、たった3つしか違わなくても感性が大きく違う。
猫ひろしの「らっせら〜らっせら〜」が伝わらない世代が僕の少し下まで来ている。少し下の世代ではカンボジアのマラソン選手だ。

世代間というものは自分にはない感覚を得れることが多くて、それだけでも価値がある。
それを埋め合わせては新しい自分にブラッシュアップしていくのは楽しい。
もちろん変えれない部分もあって、それはそれでいい。好みの部分は変えなくたっていいけど知っておくのはとても大事だ。

この間は21の女の子が入ってきた。
早速いろいろ話したり、初日から昼飯行ったりした。
聞けば俺でも知ってるくらいの芸能グランプリのファイナリストで芸能事務所に誘われて数週間前に上京してきたばかり。
何者かになりたくても、何者にもなれなかった、正確にはなる勇気もなかった自分にとってはゾクゾクするような話。
その瀬戸際に今まさに立つ女の子が目の前にいて、彼女は決断をして飛び出してきている。そこに興味しかない。同じ職場にいるのに自分と彼女では所属している理由や経緯が大きく意味が違う。

そこを飛び出せた勇気や気持ちはやはりノリだったのか?すごく気になるがそれは直接聞いても正しい答えは返ってこない気がしてる。ノリだと言われたら本当にそれまでだから。でもそれ以外に付随する、そのノリのひとことで片付けられない何かがこの子にはあったのかもしれない。だからこの子自身の人となりを知ってから真実に迫ろうとする。

こんなコミュニケーションの取り方なので複数人より、1対1で話すのがとても好きだしやりやすい。
緊張するとなぜか自分の話で終始するけどそういうのはもう減ってきた。

2人きりのコミュニケーションを取りたくても大人になると男女というものが邪魔してくる。
自分にはその気はさらさらなくても世の中とかそういうものさしを置いた時に拒否されることがある。とても悔しい事案でこれといつも僕は戦っている。
そういうのを気にしないでいてくれてる人というのはとてもありがたくて、末永く仲良くさせてもらっている。

ただここ数日会ったばかりの人にそんな警戒心なくいてくれる人などかなり少ないだろう。

自分が歳を取るにつれて話を聞く対象の子たちとどんどん歳が離れていく。
今はまだ27歳だから6、7歳差とかで済んでいるが自分が40になったらもう20歳差だ。

こんなことを永遠にしてたいけど、もうそろそろ出来なくなるのかな。

諸行無常の響きが僕の心を打つ。


ただ逆のパターンを思い返す。

40代の人とも仲良く話したりしてくれていたりする。当時の話を楽しんで聞く時間もある。僕はその人たちに対してもいろんなことを聞きまくっている。その人たちと僕は20歳差だ。
そこは友達と言っていいくらい仲良くさせてもらっている。

こういう形もあるのならば、あり得るのかなと言う考えが自分の中で薄光としてぼんやり見える。

にしても話を聞き出すにあたっては男女というものはすこぶる邪魔だなぁ。

まだみんなに興味を持てているが、こういうのが原因で縮こまって興味を持てなくなるのは嫌だなと、まだ思えている。