中敷きがズレてくような日々

煩悩、戯言の半径30cm

まっすぐすぎるのは武器にも暴力にもなる


勘の悪い後輩と紹介した彼のことを書いてみよう。
この数日はほとんど彼のドキュメンタリーだった。

辞めるかも知れない大学生の子に彼は気づいた。
すでに矛盾のように感じるかもしれないが、彼はそういうことを察することは出来る。ただ初手の勘の悪さは人とズレすぎている。そこがおもしろくて好きだ。

辞めるかも知れないという子は以前にここでも書いたが、前に名指しで注意をされて可哀想だった大学生の新人の子だ。
その後は順調に持って行けたのだが、また別件が起きてしまい長文の文句LINEが僕のもとに届いた。そこから電話をしてみたら、辞める決心がついたらしい。辞めるのは寂しいが、この子はもうここにいたくないのかもしれない。と思ったら止める事もできなくなった。ましてや大学生のバイトだ。いくらでも可能性はあるし、わざわざここで働く必要もない。僕は「わかった」とだけ伝えた。

その電話の終わりにそれならば飲み会は開こうということになった。
何人か誘う中で心配もしていたしその後輩は誘わなきゃダメだろうと思って声をかけた。久々の会合に「行きます〜!ありがとうございます!」みたいな返事が来るかと思いきや、「了解しました。」しか返ってこない。
まだ誰が来るのかも言ってもないのに。

翌日出勤で会ってみると辞めることを察しているような面持ちで、どうにか出来ないかを探っていた。全ての休憩時間、バイト終わりまで「一緒に行きましょう」と待ち伏せしているほどだった。
それだけでなく彼なりにイラついてもいた。「どうしてこうなってしまうんだ。納得がいかない。」という反応。
「話を聞いて、分かる分かるって言うだけじゃ意味ないんですよ。どんどんネガな方向に行っちゃうじゃないですか。ポジティブな方向に行く言葉を言った方がいい。」と。
彼は夕方の休憩のときには「いま電話しましょう!!」とまで言っていた。さすがに怖すぎるだろうと思ったのと、この熱意は目の前で見た方が伝わるんだろうなと思い、明日までとっておくことにした。

こんな形で辞めることに納得がいかないのは同じなのだが、彼に触れているとあそこまで真っ直ぐにはなれてない自分に次第に気づいていった。
その夜、僕は大学生の子に改めて電話をして「辞めるのってまだ止めてもいいものなんですか?」と伝えた。彼の真っ直ぐさになんか感化された。思っていることはせめてでも伝えなきゃと思えた。
そして彼がこういうテンションであることを伝えておいた。明日出勤したときになんの前触れもなくアレに触れたら驚いてしまうだろう。

明けて昨日、飲み会当日。
僕は休みだったが、同僚やその大学生の子からどうやら彼が大暴れしている情報が届いた。
シフトの期日だったその日、どうやら彼女より早く来て「シフト書きましょうよ」を朝1番から言ってきていたようだ。その後も彼はレジ担当なのに事あるごとに持ち場を離れては近づいて行き、同じことを言ってくる。極めつけは手紙を渡しにきたと言う。常人では思いつかない距離の詰め方である。

また驚きなのはこの2人、日頃から会話をそこまで取っているわけではないところ。ましてやお互いの連絡先も知らないほどの仲。好き以外の理由を見つけるのが難しいのだが、ただ彼女が彼氏がいるということも知っている。そして彼の日頃の真っ直ぐさ見ていると、それ故なのだろうという線はあながちというか全然捨てられない。それが時に悪気のない暴力にすらなってしまうくらい真っ直ぐなのだ。

これを聞いて、今晩への期待の膨らみがとんでもなくなり、家で1人足をバタバタして笑い転げていた。

夜、他5人が集まった。楽しくケラケラしながらお話をしていたら、彼が少し遅れてやってきた。
彼はまるで初対面の人にあったかのような小さい会釈をして、何も喋らない。話にも入らず、ずっと遠くを見ている。
彼は今何を思い何を感じてこの顔と態度をしているのだろうか。
もう僕の中でこの会の主役は彼になってしまっていた。

店に着いてもずっと途方を見ている。身体の向きもテーブルから外側に向いている。何故か別の女の子に「髪切りましたね」とだけ言っていた。
楽しい話もほどほどに本人の口から事の経緯を説明してもらった。その合間もずっと目をつむって俯いて聞いている。たまに小さく頷く。そして永遠に黙ってる。

彼が黙って少なくとも30分が経っていた。そろそろメインディッシュを投入しよう。彼に話を振った。

「全然気にしなくていいですよ」と彼は言った。小さな声で。

この世でもっとも暗いトーンでの励ましの言葉だった。

ポジティブな言葉をかけるならもうちょいテンション上げろよと思った。お前のことの方が心配になるわ。そして当人はもうあっけらかんとはしていて、すでにそんなことは気にはしていない。彼以外はみんな揃って笑いを堪えて俯きがちだ。

そこから彼はトートバッグをゴソゴソと漁り出した。何が飛び出るのか、期待と緊張感が入り乱れて走っていく。

「こういうのもあるんですよ。」

飛び出してきたのはクシャクシャになった紙。入社時にもらったであろう会社の相談窓口のQRコードだった。

誰よりもまともな判断が出来ている。
まさかのことすぎて現場に衝撃が走った。
こいつからこんな意見が飛び出すだなんて誰も思いもしなかった。
僕は感心してしまった。底が知れない。

どうしてそれをずっと持っていたのだろう。
もう自分が入ったときはこれをもらったかどうかも定かでない。

誰よりも判断はまともなのに、これをクシャクシャの紙で持ち続けているこいつは確実に変。
これが彼のぶっ飛んだバランス感覚だ。

「社員になろうという人がこういうのを知っていないのはダメですよ!!何か動いてるのだろうと思っていたけど、こういう提案もしていないと思ったら信じられなかった。共感してるだけじゃ何も変わらないし、そうやって辞めていったら1番酷いことをしていることになっちゃうんですよ!!」と僕は彼に説教までされた。

隣にいた子が庇ってくれたが、さすがにこの発想は思いついてもいなかったので覚えておこうと思い、即座に写真を撮った。


「どうなんですか?シフトは書いてきたんですか?」と彼が言った。
「書いてきましたよ!」と大学生の子が言った。

その瞬間、彼は「やったー!!!!」とこの日1番の大声をあげた。
最初の彼はなんだったんだというくらいに上機嫌になった。
よかった、ほんとによかった。ありがとうね。また頑張っていこうね。
そんな言葉がとめどなく彼から溢れ出ていた。

そして彼は泣き出した。しばらく泣いていてお店の人にティッシュを借りるほどだった。

そこからの彼もすごかった。

「昨日は眠れなかったの?」と聞くと、
「いや、今日に備えて早く寝ようと思った。自分が先に行っておかないと朝のうちに店長に辞めますって言ってしまうのではないかって」(うちは基本11時出勤だ)
「何時に起きたの?」
「7時」
「いつもは何時に起きてるの?」
「7時」

「そうだ!出勤するときに電車で読んでいる小説を読んでいたんですけど、その話がどんどん悪い方向に行ってしまってて、その話も友達が死ぬのを止めようとしていたんだけど、死んじゃったんですよ。そしたら電車が止まったんですよ。これはやばいどうしようと思って。これで遅れて店長に告げていたら辞めてしまう。運命は変わらないのかも知れないと思って、うわぁーってなって、早く電車動け動け!ってめっちゃ思いましたよ。でも、止められた!!!運命変えれたよ!!俺運命変えれたよ!ありがとうね!!」

彼は今年26歳だ。


僕らは腹を抱えて笑った。笑い涙が出てきた。辞めるのを引き止められている張本人が若干引いていた。


彼に触れていると自分は擦れてしまったなと思える。元々そこまでは人のことを思えてなかっただけかもしれないけど。
純粋すぎるものに触れたとき、ヒリヒリして、突き動かされるなにかがある。

彼は常に様子はおかしいし、変わっていることや勘の悪いことには変わりないが、誰よりも大事な心根は持っている。
このまんま勘の悪いままでもいてほしい気持ちもあるけれど、もう少し人が引かないやり方さえ分かれば素晴らしいやつになるのになと思った。


今日、出勤をすると彼が昨日いた女の子に「髪切りましたね」と言っていた。
遠くの方を見て何も話さなかったあのときの記憶は彼の中から全てすっ飛んでいるのだろうか。
「昨日も言いましたよね?」と大笑いされていた。


どうやら彼はこのまんまで生きていってくれそうだ。