片付けができない。物が捨てれない。
自分が納得しないとあんまり人の言うことを聞けないのが欠点だと、ここ最近は重々承知してきた。
どんな本を読んでも自分がひどく納得しないとそれを受け入れることができない。
そんな中で千原ジュニアの『西日の当たる教室で』という本のある一節だけはなんとなく信用した。
「部屋がキレイってことは、頭の中が整理されてるっていいことやと僕は思ってます。」
これを読んだ時に僕は納得はできていなかった。どういうことなんだろ。
「頭の回転が早いというよりは、頭の中にあるファイルを取り出すのが早いっていうことで、それだけ整理されてるっていうことなんでしょうね。」
ここでなんとなく分かってきた。
よく部屋が汚いと思って、写真を撮っては人に送っていたのだが、
「部屋は整理されてるけど、物が多いと思う。」と言われていた。
雑誌や本が床に平積みになっていたり、引き出しは開けれなくなっていたり、
父親との共同の部屋のためもあり、スペースが足りないのもあるが、思い立っても物をすぐに引き出せるような場所ではない。
たしかに記憶もそんな感じだなと思った。
最初のとっかかりがひとつも出てこない。
でもそのひとつがどうにか出てきたら
「そんなことよく覚えてるね」と言われるくらいに事細かに物事を記憶している。
それは頭の中でお話がファイリングされてないのではないかと思った。
そう思ってからは暇な日があるとお片付けをするようになっている。
仕事でCDやレコードの査定をしている割には物を売ったことがない。
まだ親と一緒じゃないと身分証明できないから売れない、みたいな感覚に陥っている。
今日の片付けではついに本をいくつか売る決心がついた。読みたくなったら買い直せばいい。
それを勿体無いと思うのはもうやめたい。
たしかに片付けをすると頭がすっきりしてきて、いろんな物事が考えられるようになるなと感じた。
もうひとつ、自分の自覚している欠点に「見えないものに飛び込む勇気がない」というのがある。
こんな風なことを小さな成功体験として、いくつか抱えていれたら、いろんなところに飛び込めるかもしれないなとも思う。
そういえば昔から悩んだ時は断捨離をするというのは通説だった気がする。
そんなことを恋にやぶれた女の子とかが言っているのを聞いた気がする。
それを自分は鼻で笑っていたと思う。
最近読んだフットボール批評でのアルビレックス新潟のアルベルト監督のインタビューで日本人の好きではない点としてあげた例え話として、
「選手が私の話を受け入れるのは、私が元バルセロナの人間力だからではなく、その話が論理的で的を射てるからでなくてはなりません。誰に言われるかではなく、何を言われているかが大切です。」と言っていた。
そんなところ自分にもあるのかもしれないな、と思いながら自分にトンカチを当てたい。