人はまずシャトルランで感動を覚える
家の近所の小学校
体育館から「がんばれー」の声が聞こえる。
響くのは不気味なドレミファソラシド
昨日ライブハウスで爆音を聴いたから耳はまだ曇っているが、このドレミファソラシドに関して最初から曇っている。
ドレミファソラシドが終わる度に「がんばれー」の声
懐かしいな、みんな言うてたな。
ドレミファソラシドが早くなるにつれて、がんばれーの熱量は上がっていくんよな。
自分は運動神経が学年でぶっちぎりビリをとれるほど悪く、体力、走力、気力、能力、活力の五角形どれも広がらない。
ただ気力だけは少しあったかもしれない。
そのために早々に敗退。
それが当たり前。既定路線。
まず俺が敗退してからだという空気は充満している中。
気力だけが少しあった自分は、意外と頑張るときがある。
今思うと、予想通りの展開が嫌いだったので、予定調和をぶち壊したい気持ちでやっていた気がする。驚かせたい。何かしでかしたい。
その行動はときにプチ感動を呼んでいた。
そんな感動は時間が経てばサブ扱いになり、続くドレミファソラシドの先に大きな感動がある。
ドレミファソラシドが早くなるにつれて、白熱するトップ争い。最後の1人になると「がんばれー」も白熱をした「がんばれー!!」になる。
最後に体力を尽きたものは拍手喝采で迎えられ、その場で倒れこむ。
シャトルランが未だに続く理由のひとつとして、これによって初めて人は感動を覚えるという側面がありそうだ。
自分もやらされて、いかに辛いものかを体感しているがゆえに感動もしやすい。
人はまずシャトルランで感動を覚え、その延長線上で箱根駅伝に感動をしている。
箱根駅伝はシャトルランが団体戦になり、勝ち負けが如実に表れだすが、明らかに辛そうな顔、そこに感動を覚えている。
走ったことがない人はいない。
だってみんなシャトルランをやらされているから。
今日も、明日もどこかの体育館で不気味なドレミファソラシドが鳴らされて、
誰かの心を射抜いてる。
みんなの心拍数が上がっている。