中敷きがズレてくような日々

煩悩、戯言の半径30cm

堀米勇輝の煌めき FC東京vsサガン鳥栖


FC東京vsサガン鳥栖を観に行った。

試合自体は大満足だった。

 

目当てだった鳥栖の堀米

実は元々甲府のユースアカデミー出身、しかも地元の選手、学校も隣。
もう僕が小学生の頃から山梨県内では名が轟いていた。

僕が小学6年生のとき、自転車を飛ばして甲府の練習場に初めて行った。いろんな選手にサインもらってた時、練習着を着て外のベンチで疲れ果ててる人がいた。
なんとなくサインください!と言ったら、書いてくれたのは漢字で「堀米」
あぁ!噂の人か!となった
そのときの彼は中学生。
当時の甲府は自分たちで育てた生え抜きの選手がまだいなくて、その中で1番期待かけられて、中学生の段階からトップチームの練習にまで参加してたのが堀米だった。

 

世代別の日本代表にも選ばれてついた名は「甲府の下部組織の最高傑作」

 

その後、甲府でプロになるんだけどなかなか定位置を掴むことができず、居場所ないから他のJ2下位のチームにレンタル移籍した。そこではチームの中心になるほどの大活躍するんだけど、甲府に戻ってくるとダメで。
その頃の甲府は守備一辺倒のサッカーでJ1にしがみついてたときで、線は細くて、足も早くなくて、左足だけバカほど上手いテクニシャンの堀米を活かせるチーム状態じゃなかった。

 

そして2016年にJ2京都サンガに完全移籍。
ついに甲府から至宝がいなくなり、道を分つこととなる。
この年の堀米はまたも大活躍。

 

それを受けてなんと2017年にまたも甲府に復帰。
この年の甲府吉田達磨監督を招聘し、守備一辺倒から攻撃的なチームにシフトする年で中心になることを期待された。
第2節からコンスタントに出場機会を得るも、思うような結果も出ず。第9節になんとか初ゴール。堀米らしからぬヘディングシュートでのゴールであった。
試合を重ねるだんだんベンチにすら入れなくないことが増えていった。
そしてチームは5年間しがみついていたJ1からJ2に降格した。

2018年には甲府が財政難で潰れかけた頃から2016年まで甲府一筋でクラブを支えたプレイヤー石原克哉の背番号7を引き継いだ。
背番号7を背負う堀米の姿は長年のサポーターの夢だった。
一度はチームを2017年は誰も背負わなかったのにも意味があり、きっと骨を埋める覚悟だったのだろう。
しかしまたも納得の行く活躍は出来ず。8月以降ゴールもアシストも出来ないままシーズンを終えることとなる。

 

そしてこの年の終わりに訪れた2度目の別れの時

 

本人がきっと絞り出して出しであろうコメントは淡白に見えてしまい、歴史ある背番号を1年で投げ出したこと、同じJ2の昇格を争うであろうライバル千葉に移籍したこともあり、「裏切り者」という声が飛んだ。

 

手塩かけられたアカデミー選手、サポーターに息子のように愛された選手だからこその悲しい末路

 

そこからJ2でプレーし続けた堀米はこのままの選手で終わるのかと思われたが、
2022年、主力選手を半分以上抜かれたサガン鳥栖から声がかかり、久々のJ1の舞台へ

開幕戦からずっとスタメンで、ハイライト観れば、あらゆる攻撃に堀米が絡んでいる
J2の頃よりも活躍してる姿が目に止まった。

 

そして今日の試合、前半から大活躍
相変わらず左足しか使えないし、使わないのだが、課題だった守備面も人一倍ハードワークが出来ていて、もうただのテクニシャンじゃない。

 

そして81分、試合を決めるビューティフルなフリーキック
ゴールキーパー1歩も動けず
ついに鳥栖に来てからの初ゴール
ファンサポーターから大拍手

 

中学生の頃の堀米を見てから、約15年
堀米はもう29歳
やっとJ1で才能が花開く瞬間に立ち会えたのが激熱でしかなかった。

 

長年観ているからこその感動がそこにはあった。

 

https://youtu.be/_H4WKG-XxVw